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Tetsuo MOCHIZUKI's Archive


Profile

Tetsuo MOCHIZUKI

Tetsuo MOCHIZUKI (望月哲男)
¶ Professor emeritus, Hokkaido University; Russian literature
1951 Born in pre. Shizuoka
1882 Finished DC of Graduate School of The University of Tokyo
・ Professional Career:
1982 – 1986, Assistant, Faculty of Letters, Tokyo University
1986 –1994, Associate Professor, Slavic Research Center, Hokkaido University
1994 –2016, Professor, Slavic(-Eurasian) Research Center, Hokkaido University

¶ Activities related to academic societies:
Japan Association for the Study of Russian Language and Literature: President (2013-2017) 
International Dostoevsky Society: Vice-president (2013-)
¶ From publications in non-Japanese languages:
Tetsuo Mochizuki, Тема казуистики в романе «Братья Карамазовы» // Достоевский в конце XX века. Москва, 1996. С.289-297.
Tetsuo Mochizuki, 'The pendulum is swinging insensibly and disgustingly: Time in "Krotkaia"', Dostoevsky Studies, New Series, Vol. IV (2000), pp. 71-82.
Тэцуо Мотидзуки. “Играя со словами классики: Достоевский в современной литературе,” Tetsuo Mochizuki (ed.), Russian Culture on the Threshold of a New Century, Sapporo: Slavic Research Center, 2001. pp. 159-177
Тэцуо Мотидзуки. «Вечный муж» как театр катарсиса. Русская литература, №1, 2002. стр. 135-140.
Tetsuo Mochizuki, «The Perception of Dostoevsky by Contemporary Russian Writers: Reminiscences, Stylizations and Remakes» in Halina Janaszek-Ivanickova (ed), The Holizons of Contemporary Slavic Comparative literature Studies, Warszawa: Dom Wydawniczy ELIPSA, 2007, pp. 109-121.
Тэцуо Мотидзуки / Каё Фукума. Сколько картин вмещает «Роман»? Владимир Сорокин и русский пейзаж // Tetsuo Mochizuki, ed., Beyond the Empire: Images of Russia in the Eurasian Cultural Context, Sapporo: Slavic Research Center, 2008, pp. 423-447.
Tetsuo Mochizuki, “Shame and Idea: Dostoevsky’s «A Raw Youth»,” Sub Specie Tolerantiae: Памяти В.А. Туниманова (For the memory of V.A. Tunimanov), St.-Petersburg: Nauka, 2008. P. 243-256.
Тэцуо Мотидзуки. Литература как музей: творчество Вл. Сорокина и визуальная память России. Boris Lanin & Tetsuo Mochizuki (eds), Sorokiniada: Eurasia Talks about Sorokin. Comparative Studies on regional Powers No.5, November, 2010. pp. 33-41.
Tetsuo Mochizuki, Nonviolence by Tolstoy & Gandhi: Toward a Comparison through Criticism. Tetsuo Mochizuki, Shiho Maeda (eds.) India, Russia, China: Comparative Studies on Eurasian Culture and Society. Comparative Studies on Regional Powers No.11, September, 2012, pp. 149-169.
Тэцуо Мотидзуки. Парадокс ограничения и бесконечности: о времени Мышкина. Su Fëdor Dostoevskij. Visione filosofica e sguardo di scrittore, a cura di Stefano Aloe. Napoli, “La Scuola di Pitagora Editrice”, 2012, pp. 377-392.
Тэцуо Мотидзуки. Ненасилие как антимодернизм. Ганди об учении Толстого на фоне Русско-японской войны 1905 г. // Корнелия Ичин и др. (Ред.) Ex oriente lux: Japanese culture and we. Belgrade, 2014, pp. 27-38.
Тэцуо Мотидзуки, Новый подход к модернизму? По поводу современного дискурса о формализме и риторике. Зборник Матице Српске за славистику 88 (2015). Сербия: Нови Сад, 2016. Стр. 245-257.
Тэцуо Мотидзуки, Переводчик как читатель: из опыта перевода художественных текстов с русского на японский. Kumi Tateoka, Valerij Gretchko, Yuika Kitamura ed., Found in Translation: Transformation, Adaptation and Cross-Cultural Transfer, Logos, Belgrade, 2016, с.175-185.

(Papers on this Website)
・Zosima and the “Word”
・Letters from Orenburg: A. A. Grigor’ev, N. N. Strakhov, F. M. Dostoevsky
・A.A. Grigor’ev and F. M. Dostoevsky: The soil of the pochvennichestvo
・Enthusiasm for the riddle
・The Eternal Husband: Various phases of the psychological interpretation

ゾシマと言葉  
Zosima and the “Word”

¶Archive 1980

Человек есть вопдощенное Слово.
「人は肉と化した言葉である。」
Он явился,чтоб сознать и сказать.
「人は認識し語るためにあらわれた。」
                       『カラマーゾフ兄弟』(創作ノートより)

 <1>

 妻を殺した男の回想記として描かれているハインツ・リッセの「地ゆらぐとき」(1950年)は、自分を語ること、書くことのもつ行為としての意味を読む者に考えさせる。
 主人公は彼の関わった二つの殺人(同僚の犯す偽装殺人と自らの妻殺し)の間の時間を生き、その間に何人かの人々の死と大地震(自然の意志であり、また戦争という大量殺人の反映なのだろう)を体験し、そしていま、自らの精神的居住地たる架空のニカリアの地とこの世との二重の場での生活を強いられている。彼はそこで、浮遊している思想の魂に脈絡を与え、魂の死を停止せしめようという衝動から、精神分析医の勧めに従って回想記を綴り始めるのだ。
 物語の叙述は、何人かの他者との対話を節目として、「私」が殺人に至るまでの精神的遍歴を追うことに向けられている。だが時間の軸は書く者の意識の中で曖昧化される。そればかりか、身近かな人間の死を予見し、死者の言葉を聞く能力を持つという主人公は、他者に対する愛と責任の問題をつきつめようとする過程でたえず社会に充満する死の匂いを嗅ぎとってしまい、そのことが地上に生きる人間同士の関わりあいの因果の糸とみえたものを、時間そのものと同じくぼやけたものにしてしまうのだ。
 例えば同僚が、その婚約者を謀殺する場面に立合ったとき、ひとはどう振舞うべきか。彼が最初に置かれた選択の地点はここだった。彼の感性が当然のように反発し、信仰とモラルの名において相手の行為を告発しようとする。だが彼はその瞬間に、殺された女の声を聞くのだ。――現存の秩序を意味づけるのは人間の生ではないし、たとえ神の秩序があっても、それは個人の行為に左右されるものではない。「あなたの良心の決めた秩序の他どんな秩序もない」そしてあなたは、今のあなたのままでこのことに関わることが可能だろうか――と。他者の生に関わることへのためらいが彼の転落への一歩となる。彼は同僚を糾弾する根拠を疑い、何も為さぬことによって現実的に相手の行為を容認してしまう。
イワン・カラマーゾフが代弁する死にゆく子供の声に、社会の悪に対する彼のヒューマニスチックな、また抽象的な憎悪が反映しているように、この主人公が聞いた死せる女の声には、大地震=共同体の崩壊の時代を生きた彼の虚無的な心象が映し出されている。彼の聞いたのが、あらゆる人間の生をはかないものとして相対化する理性の声であるか、或は自我の意識というものが未だ存在していなかったユートピアの知恵の声が屈折したものであるかは別として、彼がここで、問いかけ、答えるという言葉の本来的な運動の場に置かれ、しかも回答を保留したことは確かである。
 彼の生は、自分が拒否した回答にこだわり続けることに費やされ、彼の回想記は、語りかける言葉そのものの探求に向けられる。そして言葉はそこで極度に意識化されたものとなる。
 同僚は彼に「あなたは言葉にしがみついているのです」と言う。主人公にとって、現代の言葉は、聖書に記されたような奇蹟を生む力を失い、信仰を窒息させかけているのだが、しかしそれは自らに宿った生命を全く失ったわけではない。「私のことを知っている脳髄がひとつありさえすれば・・・・・・」と語るとき、彼はひとびとに呼びかけ、ある大いなる意志で世界を包み込む言葉の本来の力を喚起せんと願っているように思える。それが如何に不確かなものであろうと、彼が依拠するものは言葉しかない。

 言語の奇蹟なくしては、もっとも原始的な段階の洞穴絵画も、すでに深く無限なもののなかに立つベートーヴェンの最後の四重奏曲も存在しない・・・・・・言語のもっとも原始的な時代を研究したら、母たちの国へもぐり込むことに成功するだろう・・・・・・。①

 「一枚の単純な布切れさえ数百万本の糸でできているのだ」という主人公にとって、己を語るとは、無数の因果の糸のひとつひとつを、言葉のこの力によってほぐしてゆくことであったはずだ。
だが書くという作業の中で逆に彼は、ひとはついに言葉では何も語ることができないのではないかという危惧に見舞われる。

 人間には自分が何を悩むかを言うことは許されていないのだ。②

 ひとがただひとつ重要なことを知るのは、いつも一瞬の間だけである。・・・・・・自然はひとには、彼がけっして喋りたてることができぬと確信しないかぎりは、真に重大なことは何ひとつもらしはしない・・・・・・③

 リッセの描く世界の中では、言葉の観念がその奇蹟的な力へのひそかな信仰と結び着きながら、それが、人類の発生から絶滅のときまでを超越的な視点から見通す理性を持った孤独なエゴイストの内面で屈折してしまう。人間を解放するすべたるべき言葉が、逆に彼を出口のない迷宮に閉じ込める。
彼が何故妻を殺したのかは結局明瞭ではない。だがそれが、全てを記しつつ誰に向っても語りかけることのできなかった彼の、いわば言葉への意志と言葉からの疎外というアイロニカルな状況と相関性を持つことが推量される。そして、彼が獲得しようとした言葉とは何なのかという問いの中に、我々はとり残される。

 様々な相貌で現われる自我の意識、孤独の中で研ぎすまされた自我の意識は、語りあう言葉の運動の場に導き出されることで、そのアイロニックな面を露呈する。
 例えばサルトルの「エロストラート」の嫌人家=主人公の体験もそのような性質のものであり、彼は語ることによって言葉に内在する他者に疎外されていることを感ずる。彼が至り着いた思想によれば、人間たちが人生の、ひいては言葉の意味を独占しているのであり、人間を愛さぬものは言葉の世界に席を持たない。人間どもを憎悪すると語るとき、彼は自分の言葉をまさに愛の告白のように聞くしかない。

  ・・・・・・わたしかはっきりと人間どもに向けてはいなかったところのあの思想を、わたし自身から切り離してこれを表明するには至りませんでした。それは  わたしのうちに軽いオルガニックな運動として残りました。わたしが用いる道具すら人間どもに属していることを感じました。たとえば言業です。わたしは  わたしのうちの言葉を望んだことでしょう。だがわたしの用いるそれは、知りがたいいくつもの意識のなかに尾をひいていました。言葉は他人のもとで獲  得した習慣のおかげで、わたしの頭の中でひとりできちんと身を整えるのです・・・・・・」④

 また中井英夫が現代における言葉の死をいうときも、同じ事柄の逆の面を語っているように思える。言葉が言葉たり得るのは、ひとがひとびとの中でひとであった世界、語りあう情熱の中にのみ知恵が憩っていたアルカディヤの世界しかない。アルカディヤで老賢者の語る知恵の言葉とは、実は言葉の知恵である。

  言葉は宿るものではない。閃くものだ・・・・・・言葉は、ほこりにまみれた足を引擦って遠くから訪れる旅の客ではない、それは高窓から一閃する月光のよ  うなものだ。誰もがそれで浴みはできるが、誰も宝石筥の中に蓄えることはできない。従ってその言葉で編みなされる知慧は、堅肉のように手渡したり、  掌に握りしめたりはできない・・・・・・言葉はまた活きのいい魚だ。美しいが腐りやすい・・・・・・⑤

 彼はやがて言葉は失われるだろうと宣言する。

 言葉は様々な貌を持つ。旧約聖書〔創世記〕によれば、それは創造に先立つ存在であり、ヨハネ福音書に表われた言葉信仰によれば、それはイエスにおいて肉化された知恵である。
 また唯物史観の説くところによれば、それは「相互に何事かを言わなくてはならぬまでになった人類」(エンゲルス)が他との交通の欲望及び必要から生みだしたものである。
 言葉は個人の自由な表出に委ねられているとみえて、実は単なる道具ではなく、最も強力な制度のひとつとして人間を縛る。⑥
 いっぽうM・ブーバーの言語観によれば、二つの根源語「我―汝」「我―それ」が、全く別の対話の磁場を構成する、等々・・・・・・。
 言葉を言葉で定義づけようとする試みの中には、人間が共同体的存在であるという自明の前提がある。言葉は(内部言語と呼ばれるものも含めて)関係の意識の中でのみ意味をもつ何ものかだ。
 いっぽうリッセやサルトルの描く虚無的人物においては、言葉に内在する社会性、対話性に、孤独な彼らの非社会的・抽象的な意識がこすりつけられることにより、言葉が異様な表情を呈する。意識において共同体から欠落する人間、人々の中に己を数えきれず、精神の地下室を持つ人間にとって、言葉とは何物なのか。さらに、現代社会自体が病める共同体だとしたら、中井英夫の語るごとく、言葉はもはや死んでいるのか。或は、そう語ることが既に言葉のアイロニイの中に補えられているということなのか。

 『カラマーゾフの兄弟』1部1篇5章(以下引用については部・篇・章数のみを略記)中でドストエフスキイは、社会主義を無神論の問題とし、それを「神なくしてバベルの塔をうち建てようとする問題」と評している。これは単に社会主義思想への批判というよりもむしろ「諸イデヤが空中を飛びまわっている」時代をありのままに見ようとした彼の表現であり、彼が同時代を言葉の混乱の時代と見ていたことのひとつの現われと思える。
 時代の価値観の混乱を、言葉の衰弱と混乱という位相で描くことが、この作品の方法論のひとつとなっているように思える。
 たとえば1部3篇7章では、キリストの言葉「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向って『ここからあそこに移れ』と言えば移るであろう」(マタイ17-30)がフョードル・カラマーゾフの酒席にもち込まれ、無神論者スメルジャコーフによって一種の言葉の遊戯とされる。
 彼の演説の中では神の無謬性がゲームのルールであり、信と不信が選択肢であり、ひとは信と不信に関わらず救われるというのが不変の結論である。例えば論はこう発展する。――異教徒に改宗をせまられた者は、改宗してもしなくても救われる。改宗したものはもはや非信徒でキリスト教の裁きの対象ではない。また改宗せぬ者は山を動かすことにより敵をうち破ればよい、云々と。
 スメルジャコーフは(フョードルによれば)尊敬するイワンの前で頭の良いところを見せようという意図で、真面日な信徒グリゴーリイをさかなに喋りまくるのだが、その裏には自分の生いたちへのコンプレクスが隠され、また論自体の中に、どちらにころんでも損をしない者としての、後の隠れた殺人者の宣言が込められている。
 いっぽう、およそあらゆるしたり顔や真面目さをからかうことに喜びを見出すフョードルは、スメルジャコーフのお喋りにうかれ、あいの手を入れさえするが、やがて相手の饒舌ぶりに辟易し、下男ともども追っ払ってしまう。彼は後に神と不死の有無についてイワノとアリョーシャに問うが、その問いには息子たちの自分への気持を覗うことの他に、多分何の意味も籠められてはいない。
 イワンはスメルジャコーフの個性を論評した後、父の問いに神も不死も無いと答え、ついでに「神を考え出さないようだったら文明も無かったでしょう」と云う。彼の言葉には、後の大審間官伝説に通ずる何らかの意味が感じられるが、彼は父にも弟にも自分の言葉を説明しない。そして恐らく、不愉快な酔っぱらいの言葉にふと真面目に答えた自分を後悔している。
 アリョーシャは神も不死もあると答えるが、彼も父の質問の真意を計りかね、語る言葉を選びかねている。彼の頭の中にあるのは、父と長兄の和解のすべだけである。
 こうしてそれぞれの思惑を言葉の外に残したまま、会話はフョードルによるゾシマの誹謗と、亡き妻たちの話題へとすべってゆく。
 瞑想する男スメルジャコーフの突然の熱に始まり、酔っ払いの興の醒めるまで続いたこの小さな談話のひと幕においては、聖書の言葉はほんの言葉遊びの道具にすぎない。信仰という言葉、神及び不死という言葉の意味は何かという問いはない。そもそも何故一体ここに、受難の英雄の物語、信仰の話が登場したのか、誰にも説明できない。皆がそれぞれの思惑で、それぞれの言葉で喋っている。そしてフョードルの怪気炎と兄弟の当惑が頂点に達したとき、嫉妬に狂った長兄ミーチャが登場し、父親をこづきまわして退場する。
 M・バフチン流に言えば、これはカーニバル的なひと幕といえよう。或は、キリスト教的世界観に対する、19世紀的理性の挑戦と形容できるかもしれない。
だが、そう評したところで何も言ったことにはならない。それはドストエフスキイが風刺や批判を意図していたわけではなく、こうしたいわば混乱した言葉の世界を、そのままロシア的現実だと信じていたからであり、同時にこうした現実を踏まえつつ、「滅びたる人間の復活」という「キリスト教文学」のテーマと真剣に取り組もうと意図していたからである。

 <2>

 「カラマーゾフ兄弟」のゾシマ長老を論ずるにあたって、語りかける「言葉」の問題が大切に思われるのは、ロシアの急速な近代化の時代たる19世紀中葉を生きた作家ドストエフスキイが、一方で、現実を言葉で認識し把握することの困難さを感じつつ、同時に夢想家という、自己を見失った「滅びた人間」の復活というテーマを追求してゆく過程で、ひとがひとに語りかけることの意味の問題にあらためてつきあたってゆくその様が、この作品に如実に現われており、ゾシマ像に籠められた宗教的思想及び作品の聖者伝的意匠そのものが、語りあう関係の探求という処女作以来の彼のテーマヘの回答となっていると思われるからである。
 現実をどう表現し何を書いても全て現実より弱々しいものとなる……現実は我々の観察や想像の産物を常に超越しているのだ……
 『作家の日記』(1876年10月1章3)中でドストエフスキイは、知人の芸術家の言をひきながら「現象を定義し、これを真の言葉(настоящее слово)で呼ぶことの困難さ」を語っている。

  ・・・・・・それは自分が著作を始めた1846年からすでに承知していた、あるいはもっと前からかもしれない――と彼は続ける――で、この事実は一度ならず   私を驚愕させ、芸術の効力などといったところで、かくまで明白なその無力を眼前に見てはと、疑いの念を起こしたものである。まったく、現実生活のうち  から一見たいしてぱっとしないような事実を捉えて注視してみると、その当人に能力と目さえあれば、シュイクスピアにもないような深さをその中に見い   だすであろう。しかし問題は――誰がその眼識を持ち、誰がその実力を有するかにあるのだ。なにしろ芸術作品を創造して書くどころか、単に事実を認識  するのにさえ、一種の芸術家たることが必要なのである。・・・・・・とはいえ、我々はとうていあらゆる現象を汲み尽くし、その根源と結末まできわめること   ができないのはもちろんである・・・・・・。

「わが国では他人と語るのが一種の学問となっている」(1873年1章)という皮肉な序文をもつ「作家の日記」の総体は、この言葉で捉え難い現実を、読者との語り合いの場に導き出すことの一種の実験室となっているように思えるが、この現実の捉え難さの認識は、長編小説の語り手にも移される。

  ・・・・・・ついでに言っておくが、人間の行動の原因というものは、普通我々が後になって説明するよりもはるかに複雑多様なもので、はっきりとした輪郭を  帯びている場合はまれである。で、ときとしては単なる事件の記述にとどめておくのが、説明者にとって有利な場合がある・・・・・・。(「白痴」4篇3章)

 このような叙述者の言葉は単なる韜晦ではなく、そこには神のごとく全知全能の語り手の地位を追われた、現代作家の困難な立場が反映されていると云えよう。問題はそこで常に二重になっている。一方は、作者(又は語り手、或は主人公)たる〈私〉が、現実を言葉で正しく把握し表現することができるかという問題であり、他方は作者(又は語り手)と読者、或は主人公と読者の間に、現実をめぐって語りあうに足る信頼関係があるかという問いである。
 二つの問題は結局、ともに言葉への信頼の問題と云えよう。「カラマーゾフ兄弟」の冒頭には、アリョーシャの伝記は書くに(読むに)価するか否かという意味の短い序文が付されているが、ドストエフスキイの後期作品においては、常に何らかの形で、語ることそのものの確かさの問題が意識化されている。何が真実がという問いが、誰が何の名において、どんな言葉で現象を語るのかという、認識=対話空間自体への問いと常に同居しているのが彼の作品であり、裁判(国家と教会による裁き)というこの作品の主テーマのひとつも、そうした問いのうえにおかれている。
 ドストエフスキイが同時代のインテリゲンチャの実像とした「夢想家」とは、この言葉への疑念を体現したような人物である。

 ロシア啓蒙主義時代と呼ばれる、思想の「非歴史的時代」(チジェフスキイ)1860年代において、俗流ダーヴィニズムや統計学の隆盛の中で、現象や人間の行為を意味づける視点の問題は、活発な論議を生んだ。
 チェルヌイシェフスキイは、人間は快を欲し不快を嫌うという原則のうえに、現象と行為の功利主義的説明を企てた。
 またトルストイは、『戦争と平和』のエピローグ中で、現象や行為を支配する因果律の無限性に対する認識の有限性という観点を提示している。我々は必然性の中にいるが、認識の有限性の度合に従って自由である、と。
 「惑星の住人」論などにおいて、啓蒙主義的理性のゆくすえ(永劫回帰)を見通し、認識の主体としての「人間」の意味を語っていたヘーゲリアン、H・H・ストラーホフの思想的影響下にあったドストエフスキイは、『地下室の手記』(1864)において、こうした論議に本質的には何もつけ加えぬまま、いわば問いのあり方そのものに眼を向けている。
 彼は一方で、チェルヌイシェフスキイ流の功利主義的因果律は有り得ぬ、人間は自由に意欲し、行動するものだと主張しつつ、他方で、現象も行為も決定されているかもしれないと、冗談まじりに容認する。
 ひょっとして何かそのうち表のようなものが出来るかもしれない……(『地下室の手記』1部8章)
 地下室の主人公が説くのは、単なる合理主義批判ではない。彼自身が否応なく19世紀的合理主義の申し子であり、理性の呪縛の中にある者である。彼がこだわり続けるのは、そうした人間の自己認識の意志を支えるもの――素朴な性善説や人間機械論から、彼自身の気まぐれと意欲の説に至るまで、功利主義者をも神秘主義者をも、嫌人家をも、ひとしなみに現実と人間についての対話に巻き込むその意志とは何かという問題である。

 早い話が、現に諸君は人聞を旧習から解放して、科学と常識の要求どおりに人間の意志を強制しようとしている。しかし人間をそんなふうに改造できるというだけでなく、またそれが必要だなどということを、いったい諸君はどうして承知しておられるのか?(同、1部9章)

 合理主義のよって立つ土台への彼の批判は、そのまま己自身に向けられる。理性が何を知るかは問題ではない。かくもエゴイスチックな、かくも「恩知らず」で「無分別な」人間が、ヒューマニズムにも理性にも絶望し、己の孤独を意識化すればするほど、己を知り、世界を語る欲求につき動かされてゆくのは何故かと。「我々の内にあって、まことに真理へと意志しているのはそも何者か」(『善悪の彼岸』1章1)というニーチェの問いを、彼は先取りしている。

 いったい何故私はこんな希望を持つように創られたのだろう? まさか私自身を構成しているものが、ただのごまかしにすぎないという結論に到着するために、ただそのためのみに創られたわけでもあるまい。(『地下室の手記』1部10章)

 行為も現象も説明できない。それは「原因など無数にある」からばかりでなく、たとえ因果律の表が存在したところで、それを見わたす視点を〈私〉が獲得し、それを信じ、語ることのできる言葉を得るのでなければ、そんなものは無意味でしかないからである。しかるに現代の人間は、たがいの孤独を癒す言葉も、町のちっぽけな娼婦の眼差に対する同情を十分に表現する言葉も持っていないではないか。彼がほのめかす「いきいきした生」とは、何よりもまず、語りあう関係への信頼に依拠した生であるはずだ。だが、レトルトから生まれたような19世紀の理性の人は、けっしてそこに至り着かない。
 世界を如何に解釈するかという問題は、夢想家の意識の中で、何故に人間は語るべく運命づけられ、しかも何故に「最後の言葉」を語れないのかという問題に変容する。そして意味への問いが、対話への意志そのものへの回答のない問いに移行するところから、「酔っぱらったような」(ロバート・ジャクソン)と評される果てしない饒舌が生まれる。彼は、自分の語る言葉を一言も信じていないと云いつつ、何故か説明できぬまま語り続けるのだ。
 柄谷行人はマクベスの悲劇性を「意味という病」と名づけたが、ドストエフスキイの描く夢想家たちも、意味づけることに疲れた者たちである。いきいきとした生活を失い、土地(ポーチヴァ)を離れ、西欧的合理主義の洗礼をうけて信仰を失った者たる彼らは、完全な自由と世界調和の理想を持ち、現実的な生活――確固とした意味の世界に生きることを希求しながら、現実との接点を失い、孤独な夢想生活に陥ってゆく。彼等の特徴は、ひとつの抽象的な空間に陥ち込んでしまった己を意味づけたいという欲求を持ちつつ、同時に自らを語る言葉を持たないという点にある。
 『白夜』(1848)の主人公によれば、夢想家とは「人問ならぬ一種抽象的な」存在であり、地下室の主人公によれば「無性格な」存在である。自分が何を欲し、何を愛し、何であるかを彼等は語らない。自分を語るとき、彼等は自分が何を欲していたか、何を愛そうとし、何になれなかったかを過去形で語る。そして、現在自分の語っていることを何も信じないであろうことを未来形で予言する。そして、過去形と未来形における二重の否定の間に、己は何者であるかという問いへの問い、即ち言葉への問いが置かれるのだ。
 自己が自己を窮極的な認識の対象とする自意識の場における、無限なるものと有限なるものとの埋め尽くしがたい矛盾の感覚の中に、シュレーゲルのいわゆるロマンチック・アイロニイの様々な相が現われるとしたら、ドストエフスキイの夢想家たちこそ、アイロニイの人と云えよう。
 キルクゴールはアイロニイ的存在、不幸な意識を持つ存在を、過去も未来も現在をも失ってしまった人間と定義している。⑦
 彼が未来を持たないのは、過去において彼の希望は既に味わい尽くされ、しかもその希望において、常に自己と一致できなかったからである。彼が過去を持たないのは、彼の追憶とは過去形における未来への不確かな希望の連なりでしかないからである。彼の生は、未来形における追憶と過去形における希望との間の往復運動である。
 いったいお前は自分の年をどうしたのだ――と『白夜』の夢想家は自問する――お前は生きていたのか、どうだ?
 何もかも死んでいる、到るところ死人だらけだ――
 と『おとなしい女』の主人公は語る。
 夢想家というこの中性的存在を、ドストエフスキイは十九世紀ロシアインテリゲンチャの実在の姿と信じた。1860年代以降の長編作品の中では(つまりドストエフスキイの、いわゆるリアリズム志向の中では)これらの夢想家が、現実の具体的な人間関係の中に置かれるのだが、作品の表面におけるリアリズムの現れとは即ち、夢想家主人公の、自己の思想、行為、言葉と意識との遊離の状態――つまり他者に向う行為と言葉の内的アイロニイがますますつきつめられてゆく過程にほかならない。
 それは『死の家の記録』(1860)の冒頭では、手記の筆者ゴリャンチコフの極度の嫌人癖、沈黙癖と、他者の言葉にむさぼるように耳をすます彼の、言葉への飢えとの奇妙な矛盾としてあらわれる。
 また『罪と罰』(1866)のラスコーリニコフは、犯行後、自分はもはや誰とも口をきくことが出来ぬという気持と、誰にでも話しかけたいという欲求との間を動揺するが、それは「ぶつぶつとひとり言ばかり云っている」犯行前の彼の状況に、既に根ざしていた出来事である。彼はあたかも自作を語る作家の様に、ソーニャに向って自分の行為を様々に説明することができるが、どんな言葉を用いても、それがまさに自分の行為だと動機づけることはできない。
また『白痴』(1868)のイポリート、『悪霊』(1871)のスタヴローギンの「告白」においては、言葉が宛先のない手紙のように、誰のもとへも赴かないことが彼等を苛立たせる。
 そして『未成年』(1875)においては、「語られたことより内部に残った方が賢明だ」という主人公の沈黙の美学が、厖大な手記を綴る彼自身の、言葉への意志によって裏切られる。

 M・バフチンは、ドストエフスキイの創作理念を「対話」と評した。
 人間はけっして自分自身と一致しているものではない。AはAであるという等式は人間には適用できない。ドストエフスキイの創作理念によれば、人格の真の生命は、ちょうど人間は自分自身と一致しないというこの点において発動している。……人格の真の生が許されるのは、それに対話的に浸透してゆくときだけで、そのとき真の生はそれに答えて自由にみずからを開示する。⑧

 自己と一致しない点に人間を発想することは、夢想家を描くドストエフスキイの根本姿勢のように感じられる。だが、以上みてきた如く、その理念は常に、彼の創作テーマと関ったひとつの問いを裏側に抱えている。人間が窮極的に自己たり得ぬばかりでなく、また自己たらざることに甘んじてしまうものとしたら、そのとき彼と他者との関りは如何なるものとなるか。共同体の法やモラルが、そのときどんな意味を持つのか。そもそも、そのとき語り合うことが可能だろうか。
 例えば、現実に二人の人間を殺した夢想家を、我々は何の名で裁くことができるのだろうか。
 夢想家は、自己に向かうこうした他者の言葉を受け取めるすべを知らない。彼等は己の内面において様々な声を演じつつ、どのひとつとも一体化できない。言葉は、自分とは何かという問いを抱えたまま、発話者から遊離し、誰にも語りかけない。かくして夢想家を巡る対話は、対話への意志と同時に対話の不可能性を証明している。
 長篇の創作過程でドストエフスキイが常に検討する様々な叙述の人称の試みの中には、夢想家の言葉にならぬ言葉を、読者というもう一つの意識の主体に向けて如何に導くかと いう、困難な問題の存在が感じられる。
 こうしたことをふまえるとき、様々な声が際限なく語り合う「ポリフォニイ小説」(バフチン)と呼ばれる彼の作品の根本に、時間を強い意志で「単旋律的な言葉」化しようとする聖者伝ジャンルへの志向(『偉大なる罪人の生涯』のプラン)があったという逆説を忘れることはできない。ドストエフスキイが、プーシキンの造形した伝記者ピーメン(『ボリス・ゴドゥノーフ』)にあこがれ、最終作品にアリョーシャの伝記作者としての宣言とともに登場したこと、また作品中に、ゾシマの兄、ゾシマ、謎の客という二重、三重の伝記的構成を施したことの中には、真に留保のない立場からひとびとに語りかけ、語り継がれる言葉の空間を創ろうとする彼の真摯な、反近代的な意志を読み取ることができる。
 彼は作品を伝記として完成させなかったが、夢想家の屈折した言葉の世界に対し、真に対話的な言葉の主体を、実在のキリスト教徒として描いた。ソーニャ(『罪と罰』)、ムイシキン(『白痴』)、マカール・ドルゴルーキイ(『未成年』)ら「真に美しい」人物の系列に属するゾシマは、言葉のイデオローグである。

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 『カラマーゾフの兄弟』で、末弟アリョーシャの伝記中に、個人の人格を完く支配する長老制の理念の体現者として紹介され(1部1篇5章)、淫蕩な者たちの場ちがいな会合の席に登場する(1部2篇2章)長老ゾシマは、非常に多忙な人物として描かれている。
 ドミートリイを欠いて全員の揃った庵室をいっとき後にして、回廊付近に集う信心深い農婦たちとの会見に出かけた彼は、一同への祝福を済ますや否や、瞬く間に狐つき(クリークシカ)の女を「治療」し、三才の息子をなくした農婦を慰めてその供養を約し、徴兵されたまま行方不明の息子を案ずる母親に、近き再会を「予言」し、夫殺しの女に神の心の寛大さと贖罪の道を教え、別の農婦から六〇コペイカの喜捨を快く受け取った後、更に信仰うすきホフラコーヴァ夫人と娘リーザを相手に、真の信仰と実行的な愛について長い対話をこなす。(1部2篇3~4章)
 久しい患いのすえの死の前日、いっとき体力を回復した長老が、たえず忘れぬ穏かな口調と、微笑と、相手の心の内を見通すような眼差しをもって行なったこの日常的な儀式は、ほぼ二十五分ほどの間の出来事として描かれている。
 ゾシマのめまぐるしい活動は、けしてドストエフスキイの創作ではない。長老という存在自体が、いわば多忙さを運命づけられたものであった。例えばドストエフスキイが1878年6月にソロヴィヨフとともに訪問し、ゾシマ像のモデルの一人としたオープチナ修道院の長老アムブローシイの生活も、常に人々の中にあること、修道士や修道女たち、また一般人たちと口頭でまた書面で、たえず語り、忠告し、癒し、予言し、励ます作業に費やされている。
 アムブローシイの標準的な一日の生活は、朝四時起床、朝の勤行をすますと、ひっきりなしに相談や報告を持ち寄る弟子たちにかこまれつつ洗面・朝食にかかり、十時には、既に早朝から戸外につめかけている一般人たちとの会見が始まり、十二時に昼食(小柄なうえ病弱のため三つ児ほどの量の)、食後すぐに(疲労のため横たわったままで、或は体力がゆるせば庵室に出て)訪問者や修道士らと対談し、三時頃から再び一般人と会見。夕食をはさんだ信徒や弟子たちとの会談は(体力が許せば)十一時頃まで続いた。祈りをすますと就寝は、殆ど十二時頃になった。⑨
 胃病をはじめ殆ど全身に及ぶ青年期からの病弱の体質のため、ときに気を失うほどに疲弊しつつはたされる日日のつとめ――ダンロップはこうした生活を「十字架上の一日」と評している。⑩
 たえず人々の中にあり、語ること――他者の自我を支配するという長老の個性は、こうした超人的な生活の中に現われる。孤独な思索や研究の時間は殆ど与えられていない。監獄のドストエフスキイのように、彼はときにこの生活に苦情をもらす。が、こうした生活の中で彼は数限りない治療、助言を行い、非信徒への布教、教義問答、聖典の翻訳出版、修道院経営など数点の業績を残した。
 第2篇のゾシマのめまぐるしい活動ぶりには、こうした長老という存在の、最も日常的かつ最も特徴的な姿が投影されているように思える。そして、ゾシマの世界観が真向から語られる、2部6篇「ロシアの修道僧」に先立って、まず人々の中にある日常的ゾシマ像を描いたことには、作者の重要な思い入れが感じとれる。
 人々の中に描かれるゾシマ像には、様々な象徴性がこめられている。ゾシマはまず、土地主義者ドストエフスキイが理想とした民衆の知恵の中にあり、その精神を知悉し、彼らから絶対の信頼をうけた導き手であると同時に、教養階級の知的探求にも関わり、彼らと論じあい、彼らからも信頼された存在である。即ちゾシマには、民衆とインテリゲンチヤというロシア的対立項の融和者たる者の像が体現されている。
 また彼は、長老制度というロシア教会の「新制度」の担い手として、信俸者(使徒)たちに囲まれつつ、傍らからの無理解や迫害と闘った者たるキリストの姿が象徴化された者でもある。(そのスキャンダラスな死や、アリョーシャの夢の中での復活、及び奇蹟的な治療力や予言力を含めて)⑪
 さらにゾシマは、パイーシイらとともに、国家組織の中の一団体と化した西欧教会の理念的衰弱を批判し、世界教会の理想を語る東方からの新しい声の主体でもある。
 だがこうした様々なゾシマの属性は、完結した像として描かれているのではないし、それらを寄せ集めてもゾソマは理解できない。それらは全て、一人一人の人間との対面における言葉の遣り取りの中に表われるのであり、そこにおいて彼は、いわば常に試みられている。

 ずいぶん長い年月、わしは皆さんに説教をしてきました。そんなわけであんまり長い年月、声に出してものを言いつけてきたため、まるでものを言う癖がついて、口を開けば説教になり、それが嵩じて黙っているほうが口をきくより難しいくらいになりました……(1部4篇1章)

 ゾシマは語る人物であり、その存在の活き活きした面は、相手の心をみつめ、読みとり、発話する言葉の主体としての面に限られている。
 ゾシマ像を語る者は屡々、彼が超人的能力を持つ長老制の理念の体現者として紹介されていること、彼が個人としてはどんな事件にも関わらないこと、及び彼の言葉に盛られた聖典からの引用や、教会スラブ語的調子そのものなどにより、いわば予め権威づけられた存在であることをもって、彼が他の作中人物や彼の先行老たち(ソーニャ、ムイシキン、マカール)と相異する重大な点とみなしている。⑫しかし、そうした様々な要素を集めた固定した権威の中にゾシマがいるのではない。否、むしろ彼の権威は常に脅やかされている。
 傍観者の眼で見られるとき、彼の姿は存在の危さのみを露呈する。長老制自体が、ロシア教会史の中で(以前に長い歴史を持ちつつ)18世紀に復興した新制度にすぎないし、僧院内にも「沈黙の行者」フェラポントをはじめとした反対派が居ることが知らされる。この苦行僧の眼から見れば、彼は修道士の戒律を軽んじ、茶菓をたしなみ、神への恐れを忘れた遊堕の徒である。
 自由主義者ミウーソフの眼を通して描かれる「たいていの人に好かれそうもないところのある」(1部2篇2章)その外貌は、神聖さや威厳よりも、むしろ老いの残酷さを感じさせる。一方、フョードルは彼の女性問題をめぐって、下品な中傷を繰り返す。
 ゾシマはまた、常に先代の長老との差異を云々される立場にあるものであり、彼に対する日々の告白の習慣や、手軽になされる予言、治療なども、懺悔の秘蹟を損い、神を試みるものとして批判される。そして彼の死後、あまりにも早い肉体の腐敗がスキャンダラスな筆致で告げられるとき、彼の奇蹟的な能力や来世への信仰などの全てが、疑念の中に投げ込まれる。
 その正教徒としての純粋性という点からみても、レオンチェフが「バラ色の」と形容したように、ゾシマをめぐる雰囲気は、センチメンタルなほどの優しさに満ちているがゆえに、疑念を催させる。モデルたるアムブローシイやザドンスクのチーホンのはたした、厳格な苦行僧の生活について、日々のつとめ、神への恐れについて、少なくとも作品中には書かれていない。アムブローシイが生涯大切にした正教教会の正統性についての議論も、抽象的にしか触れられていないし、禁欲者チーホンを特徴づける内面的葛藤の激しさとも、ゾシマは無縁にみえる。⑬
 否、むしろそうして改めてあげつらうことが無意味なほどに、ドストエフスキイはゾシマの正教会修道僧としての純粋性というものを、すすんで曖昧化して描こうとしているようにさえ思える。彼の庵室には、さりげなくカトリック風の十字架が置かれているし、イワンは彼を「セラピクス神父」と呼ぶ。
 ゾシマが如何なる苦行を経て、現在の力を得たかは説明されないし、その力自体も外的に保証されてはいない。彼はあたかもそうした力を運命のように背負った者として他者の前に立ち、己の全意志力をもって語りかける。彼から言葉への意志を奪ったら、彼は無である。彼の敵対者フェラポントが「偉大なる沈黙の行者」と呼ばれることには、何らかのアレゴリイが感じられる。

 登場の場面での長老のめまぐるしいと云えるほどの活動と、唐突にみえる行為は、一見ゴリャートキン氏(『分身』(1846))の自動人形的な動作のテンポを連想させる。
 ゴリャートキン氏は眼醒めの瞬間から、他者の(或は物の)眼差を身に感じ、それに追われ、その前で演技してみせるのだが、ゾシマも農婦たちの切実な思念をたたえた眼差を敏感に感じとり、その眼差の中から相手の魂を読み取ろうとする。彼はゴリャートキン氏が常に願って果たせなかったように、腹蔵なく、単刀直入に語りはじめる。そして濃密な会話のすえに、相手が感謝の言葉を述べ始めるとき、もう彼は別の、まじまじと己を見つめる眼の方に振り向いている。
 ゾシマとゴリャートキンの行動に現われる自動人形的なテンポの類似は、恐らく偶然ではない。そこにはともに無私なるものの姿が現われているように思える。ひとつの根本的な差異――つまり後者が、他者の眼差に映る自分の姿への関心、演技に没頭し、前者が他者の眼差の含む意味への全人格的な関与、即ち関係=言葉そのものと化すような表現への密着性に没頭していることを除けば。ゴリャートキンは、その意識において絶望的に自己と一致し得ないままに自己の像を捏造しようとする志向そのものにおいて、無私たるべく運命づけられているのであり、ゾシマは、他者との具体的関係=対話の中に、認識の主体たる自己を余すところなく投げ出そうとする努力において、無私たり得ている。
 ゴリャートキンの言葉は、殆ど失われかけた主語を取り戻そうとすることに費やされているようだ。彼の発言中、無数かつ無意味に繰り返される「私(ヤー)」は、彼の名「ヤーコフ」の音とからみついて彼を苛立たせる。ゾシマの発言は、問い、感嘆、祈願、命令を主体とし、その主な意図は、聖典の精神を相手の具体的な問題に向けて引用することである。彼の「私(ヤー)」は、語る作業自体の内に潜み、表面に浮びあがらない。
 ゾシマの行動も、ゴリャートキン、ラスコーリニコフ、イワンらの行動と同じく「突然」という語で形容される。
ラスコーリニコフやイワンの行為が「突然」と形容されるのは、描写の視点が彼等の内面にはいり込み、「見通しのない」(バフチン)視野で語られているからである。我々は話者の語る「突然」という言葉に当惑すると同時に、主人公の内面に入り、彼らとともにその唐突な行為に驚く。行為の意味は、解釈可能としても、予見したり定義づけたりすることはできない。それはまさに、彼等自身が自らの行為から疎外されているからだ。バフチンの表現とはうらはらに、読者は彼らと対話することはできない。彼らが既に他者の言葉や視線を先取りし、いわば対話を済ませてしまっているからだ。読者に可能なのは、彼らを横日で見て通り過ぎること、或は彼らの眼で世界を見て、その意味の喪失に驚くことだけだ。
 
 胸が悪くなるぼどくさくさするのに、自分が何を望んでいるか、はっきりと確かめることが出来ない。(2部5篇6章)

 これが例えばイワンという人物の不変の心象である。それは「言葉、言葉、言葉・・・・・・」というハムレットの心の荒涼たる風景に似ている。
ゾシマの場合はどうだろうか。我々は彼を語り手の視点から見ようとする。だが我々に知れることは、既に語られてしまったことだけだ。彼の言葉と行為への驚きも疑念も、既に先取りされている。
 我々はまたゾシマの内面に入り込もうとするが、成功しない。彼の眼が何を見たか我々には分からないし、彼の心理を語り手は描かない。彼の見たものを意味づけるのは、彼自身の言葉だけだ。
 彼は何処から見るべきなのか。我々は、彼の言葉の相手、語りかけられる者の位置に身を置くしかない。例えばフョードルやイワンやミーチャや、農婦たちの位置に。ゾシマの「嘘をつくなかれ」という言葉や、地につくほどの脆拝の意味は分からない。ただ、その相手の立場に立って、こちらに向って語りかけるこの意志をうけとめるとき、そこに意味が生まれる。
 ゾシマを観察することも分析することもできない。彼は対話の現在の場で、相手の内なる問題に反応し、問いかけ、答えを要求する。ミーチャやイワンの心の風景は、こうしたゾシマの(或は弟子アリョーシャの)心に映ることによって、はじめて彼等自身にとってその真相をあらわす。

 作品中のゾシマとイワンの対比は、思想そのものではなく、思想と個人との関係、語る言葉への姿勢の問題の上にあらわれる。
 神が、不死が無ければ全ては許されているという論理、また世界は、例えば子供の受難にみられるような、人間にとって不可解な悲惨さに満ちているという認識、及び生の意味ではなく生命そのものが歓びの感情をもたらすという実感――こうしたものは全て両者に共通している。
 両者の相異は、「事実のそばにとどまりたい」というイワンが、実は自分の言葉をあらゆる人間関係の外において、(ユークリッド的知性の限界性という名のもとに)何事についても最終的判断を保留するのに対し、万人が万人に対して罪ありとするゾシマが、語りあう関係の中に投げ込まれた言葉の中にしか自分がいないと信じ、断言することに自分を賭けていることである。
 ペトロフスカヤはイワンを虚言者と定義しているが、⑭問題は虚偽でなく抽象性であろう。彼の語る幼児の受難の実話や、大審問官伝説の中には、世界の不条理に対する鮮烈な憤りの感情がこめられている。だが「身近かな他者を愛することは不可能だ」という位置にうずくまる彼の意識が、感情自体を抽象化してしまう。
 自分の言葉が相手の心におこす反応をみるとき、彼は急いで発言を韜晦しようとする。そして、誰に向って語りかけられたわけでもない自分の言葉が、スメルジャコーフやリーザの内でひとり歩きしはじめることが、彼を驚かせる。父殺しをめぐる罪の主体について、最も心をわずらわされるのは、「全ては許されている」という彼自身である。「彼の言っていることの何よりの反証は、彼のしていることだ。」(ギブソン)
 イワンの、幼児受難の図の生々しさに対し、ゾシマの対置するエレミヤ書やヨブ記の解釈(1部2篇3章及び2部6篇2章Г)は弱々しい感じがするし、作者はむしろゾシマのセンチメンタリズムを強調しているようにさえみえる。ソーニャやムイシキンの言葉に説得力を与えていた、彼等自身の内的葛藤や、チーホンの対話の方法論となっていた精神分析的な要素は、ゾシマにおいては描かれない。⑮
 問題は、内的葛藤や心理劇といったものとは異った、ある意味でより困難な平面に置かれている。それは、個的な関わりや共同体験といったようなものを超えて、ひとがひとに如何に語りかけるかという問題である。そしてゾシマの言葉が説得力を持つとしたら、その内容自体ではなく、それが自らの死を見つめた長老によって、子供の死をいたむ母親や、修道士たちに向って、いま、現実に語りかけられているという、その一事による。
 ゾシマは一対一で神に向かおうとはしないし、およそどんなものとしても神を抽象性をもって形容したり、それと論じたり、恐れたり、或はイワンのように、判断を越えるものとして考慮の外に置いたりしない。孤独な個人対全能の神という、グレアム・グリーン的な図式は、彼には無縁である。
神は彼にとって、具体的な他者との対面の中にのみあらわれる。他者の苦悩に耳を傾け、その運命を案じ、語りかけるとき、その関係の中に神が介在する。そして関係を信ずることが即ち信仰である。関係とは、語りあう言葉の世界であり、彼にとって認識のはじめは「神の言葉の最初の種子(первое семи слова божия)」を、自覚的に身にうけることであった。
 ゾシマにおいて、対話への意志は、言葉への信仰にまで至る。

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 キリストを受肉した「言葉(ロゴス)(Слово)」とするヨハネ福音書の思想⑯⑯は、「ひと粒の麦……」の句とともに、「カラマーゾフ兄弟」の中に深く影をおとしている。
 その直接的表現は作中に二箇所現われる。
 ひとつは、イワンがアリョーシャに神の世界への叛逆を語る直前の部分で、彼が前提として神の存在を容認する場面である。

  ・・・・・・そういうわけで、僕は神を認める。それも喜んで認めるばかりか、一歩進んで、我々には全くわからない神の英知も目的も認める。人間の生活の  秩序も意義も信じれば、我々みんながいずれひとつに融合するという永遠の調和も信じる。また宇宙がそれに向ってすすみ、それ自体が〈神に通じ〉、   それ自体が神である言葉(Слово)も信じる。その他そういったようなものを、無限を信じるんだ・・・・・・。 (2部5篇3章)

 イワンの言葉は、しかし自分は神の世界を認めないのだ、と続く。
 また一箇所は、悪魔がイワンに冒険談を語る場面である。

  ・・・・・・僕は十字架の上で死んだ言葉(Слово)が、右側に磔けられた盗賊の霊を自分の胸にいだいて天にのぼったとき、そこにいて・・・・・・。 (4部11篇  9章)

 イワンの劇詩「大審問官」は、受肉した言葉たるキリストを、沈黙の中に置くことで成立している。それはイワンによれば、ローマ・カトリックの根本的特徴である。

 いったいお前は、今そこから出てきたあの世の神秘を、ひとつでもわしらに教える権利を持っているのか。――と大審問官は復活したキリストに向って問い、自ら答える――いや、持ってはおらん。何故ならば、むかし語られたことにいまさら何事もつけ加えぬためであり、またお前がいま新たにひと言でも言えば、人々の信仰の自由をそこなうことになるだろう。(2部5篇5章)

 群れの指導者は、キリストの言葉を台座にまつりあげるとともに、言葉たるものの言葉を肉から分離し、自らの手にのみ語る権利を担おうとする。語る力を奪われたイワンの神は、個々人の救いの今に関わることのない、全能という名の抽象性と化す。

 『ファウスト』第1部では「はじめに言葉ありき」というヨハネ福音書の一節が、いくらかの曲折を経て「はじめに行ないありき」と翻訳され、「私は言葉をそれほど高く値踏みすることはできない」という主人公の言葉認識の、まさにその中から生まれたようなメフィストフェレスが登場する。
 ファウスト博士と大審問官の語る内容は異っているが、両者を支える意志は同じ位相において理解され得るように思える。そこには、言葉及び言葉に体現された共同体の知恵の中から、「神」の地位を消し去り、言葉を行為と同じ、もしくはそれ以下の価値しか持たぬ認識と伝達と表現の道具として、個人の手に奪い取ろうとする近代的な知のパトスが表現されているのではないだろうか。
 そしてこうした志向が、人間を現世に閉じ込め、個人においては対話からの疎外を生み、社会においては「バベルの塔」をつくりだすというのがドストエフスキイの認識だったのではないか。
 ゾシマにおいては、それ自体が知恵であるばかりでなく、人から人へと語り継がれることによっていま生きている言葉の世界――それに身を委ねた者の姿が描かれる。彼にとっては、人間そのものが言葉たる神の意志をうけつぎ、言葉を肉としたものである。
 人間は肉と化した言葉(Слово)である。彼は認識し、語るために現われた。⑰ と草稿中で彼は語っている。
 2部6編を中心とした、ゾシマと彼をめぐる人々の挿話は、神の言葉を身にうけた人々の描写であり、長老の語る知恵の言葉とは、中井英夫の描くアルカディヤの賢人の言葉と同じく、言葉についての知恵でもある。そして、アリョーシャを追って語られる6~7篇の物語りは、彼が長老の死を通じて失いかけた「神の言葉の種子」を、自覚的に獲得するまでのドラマと解し得る。

 6篇1章、長老は死の床にありながら、もう一度語らぬうちは死はないという自らの言葉(слово)を信じて疑わぬ人々に囲まれている。彼はそこでアリョーシャに、兄ドミートリイの恐るべき運命についての「不思議な言葉(слово)」を語り、彼を驚ろかせる。そして続いて「一粒の麦……」の句を告げ、アリョーシャの俗世間での運命を予言する。
 続いて語られるゾシマの伝記(2部6篇2章)は、ゾシマの兄マルケールからゾシマへ、ゾシマから「謎の客」へと、世界を讃美する「真に美しい言葉」が受け継がれてゆく過程である。
 「自由思想」をもった政治犯の影響で、「神はない」という「恐ろしい言葉(слово)」を語りはじめる十七才のマルケールは、死の床で突然、人々の中に生かされている者たる自分を発見し、感謝の念にうたれると同時に、間近かな楽園の到来を予感する。そして「人はみなすべての人、すべての物に罪がある」という「不思議な言葉(слово)」、万物を讃美する「美しい驚くべき言葉(дивные и прекрасные слова)」を語り始める。(2部6篇2章a)
いっぽう幼い日、教会の天窓からさし込む陽光を見つめながら、「生まれてはじめて神の言葉の最初の種子(первое семя слова божия)を自覚しつつ魂の中に受け入れた」ゾシマの心は、都会での遊蕩生活の中で曇ってゆく。しかし、ある日決闘に赴こうとして、ふと召使いへの残酷なしうちの思い出に嘖まれるとき、彼の心に突然、死の直前の兄の言葉が殆どそのままに浮がぶ。

  ・・・・・・僕は君たちに世話をしてもらう値打があるだろうか・・・・・・ほんとうに人問はみなすべての人すべての物に対して罪がある。……もしそれに気がつ   いたら、たったいま楽園が現われるだろう。(同、B)

 この、いわば呼応しあう言葉の体験が、彼を修道僧の生活に向かわせる。
 そして次に語られる「謎の客」の挿話の中では、ゾシマに宿った言葉が殺人者の心に移り、自分について一言も語らなかった人間が、突然彼の前に全てを告白する。

 最初のひと言(первое слово)を言うのがどんなに私にとって高くついたでしょう (同Г)

 そしてその後も世間への告白をためらっている彼への最後の一撃となるのは、「一粒の麦……」及び「生ける神の御手に落ちるのは恐ろしきかな」(ヘブル10-31)という聖書の言葉が、ゾシマによって彼に呈示されるというその出来事である。

 S・シュルツのヨハネ福音書研究によれば、ヨハネにとって「言葉」と「信仰」とは不可分の関係にある。

  ―ヨハネによれば、信仰とはイエスのもとに来、彼を父なる神の子と認め、そして彼のもとに弟子として留まることにほかならない。ところで天的な啓示者  たるイエスは「ことば」にほかならず、彼の言葉は彼自身である。彼が父のもとで見たことを、彼は語りあるいは行なう。そのことと対応して、信仰はこの  言葉を聞くことから来る。だからヨハネにとって救済者の業と言葉とは同じであり、信仰は「見る」ことと同じとされる。⑱

 マルケール、ゾシマ、謎の客の信仰も、まさに言葉との出会いによってのみ獲得される。
信仰がはたしてどのような内的ドラマを経て獲得されるかは、もはや心理主義の方法では描かれない。それは人から人への神秘的な言葉のうけわたしの中で、あるとき成就される出来事とされる。
 彼等は神と一対一で向いあうことはない。彼等と神の言葉との出会いの場には、必ず他者の存在(例えば母、召使、兄弟或は単なる自然物)があり、相手をみつめ、相手に罪を感じ、虚心に語りかけようとするとき、彼等は自分の言葉の中に啓示の言葉の反映を見出す。否、己をいつわらず他者に語りかけるとき、彼等の信仰は既に半ば得られているとゾシマは言っているように思える。信仰は、すでに創造において神が万物を言葉として創ることで予定されている出来事である、と。
 彼が司祭たちに求めるのは、聖書をやさしい言葉で、自らもその言葉(словеса)に聞きほれつつ語り聞かせてやる努力であり、人々が彼の感激に満ちた言葉(умиленные слова)に聞き従うことにより、生きた言葉の世界の実現に向う努力である。

 それに実例なきキリストの言葉(слово Христово)とは何か。神の言葉(слово божия)なき民衆を待ちうけるのは破滅ではないか。何故というに民衆の魂は神の言葉を渇望し、あらゆるうるわしい知覚に餓えているからである。(同б)

 ゾシマが旅の若者に語る次の一節は、彼の神秘的な言葉信仰を示す伝記の頂点である。

 言葉(слово)はあらゆるもののためにある。全ての被造物、全ての生き物は、一枚の木の葉に到るまで言葉(слово)をめざし、神の栄えをことほぎ、キリストのために泣いている……(同前)

 第7篇「アリョーシャ」では、腐臭を発するゾシマの死体が好奇のまととなり、腐敗をゾシマの非精進に対する報いの啓示とするフェラポントらの「軽率な言葉」(легкомысленные словеса)によってアリョーシャの心が動揺するとき、彼の口には不図「僕は神の世界を認めないのだ」というイワンの言葉がそのままにうかぶ。(3部7篇1~2章)
 彼の心をたち直らせるのは、グルーシュンカの語る「一本のねぎ」の話、及び彼の虚心に語る言葉に感動して耳を傾け、自らも全てを告白する彼女の言葉自体である。

  ・・・・・・このひとに比べれば、僕はなんという人間だろう。僕がここへ来たのは、自分を破滅させて「どうなとなれ!」と云うためだったのだ。――実際、了見  のせまい話さ。ところがこの人は、五年も苦しみ抜いてきたのに、誰かがひょっとやって来て、心のこもった言葉(искреннее слово)を語ると、もう全て  を許し、全てを忘れて泣いている…(3部7篇3章)

 通いあう言葉の体験が二人を結びつけ、二人を力づける。
 7篇最後の「ガリラヤのカナ」の章では、アリョーシャの夢の中にパイーシイの読誦の文句がひとつの像となって現われ、宴でのキリストの声がゾシマの声と混りあう。そしてそこで「私は一本のねぎをあげた」というグルーシェンカの言葉が、そのまま復活したゾシマの口から語られる。
そして章の終りでは、大地にひれ伏した彼の胸のうちに「なんじの涙もて大地をうるおせ……」という言葉がほとばしる。言葉は彼の内部に充満し、彼は「世の中へ出よ」という亡き長老の言葉に従って僧院を出てゆく。

 『カラマーゾフ兄弟』の筋の根本をなすのは、父と子の葛藤といったようなものよりもむしろ、こうして人から人へとうけ継がれ、人々の心をある意志の中にまき込んでゆく言葉の運動そのものと云えるのではないだろうか。
 そこにはまた、言業についてのメッセージがちりばめられている。
 例えばゾシマが、イワンは自分の語ることを信じていないと語る場面(1部2篇6章)
 アリョーシャがイワンとカチェリーナに向って、「誰かひとりくらいは本当のことを言わなければ」と云う場面(2部4篇5章)
 餓鬼の夢を見たミーチャの枕元で「私もいっしょに…」というグルーシェンカの言葉が鮮かな印象でひびく場面(3部9篇8章)
 アリョーシャがコーリャに「君は自分の言葉で話していない」と云う場面(4部10篇6章)
 アリョーシャがイワンに向って、(殺したのは)「あなたじゃない」という言葉を全身全霊をこめて語る場面(4部11篇5章)
 スメルジャコーフが「聖イサーク・シーリンの言葉」(Святого отца нашего Исаака Сирина Слова)を前にしながら、自分はイワンの言葉に従って殺したのだと語る場面。及び、死の前のフョードルは、自分の言葉は信じようとしなかったが、合図は信じたと語るスメルジャコーフの暗示的な発言(4部11篇8章)
そして、悪魔がイワンの言葉を一語一語剽窃する場面(4部11篇9章)等々。
 作品の事件の流れを縁取るこうした場面では、言葉は認識と伝達の道具たる仮装を捨て、人間が人間たり得るか否かの最後の条件の一つとして、力強さと繊細さの中に彼の存在の姿をうつしだす。そして作品中の事件に何ら関与しない人物ゾシマが、最も生彩をもって人々と関わるのは、こうした言葉の次元においてである。
 無論ゾシマは全能ではないし、新しい言葉を創るものではない。
 彼のメッセージの主要部分は聖書の引用に貫かれているし、ミーチャの恐ろしい運命へのアピールは窮極のところ沈黙の跪拝として行なわれる。そして彼が信仰の最大の神秘を語るのは、回想的告白自体ではなく、肉体の死と腐敗という「言葉」の死と、アリョーシャの夢の中での復活を通してであった。
「言葉」たる者の最後の一歩とは、それ自体が滅んで、沈黙の中に次の現実、次の「言葉」を生みだすことであると、――その逆説の中で言葉信仰は「一粒の麦・・・・・・」の思想と出会う。⑲
 そして、ゾシマの死と沈黙に触発されたかのようにアリョーシャが世に出てゆき、ミーチャが「餓鬼」への思いを叫び、さらに「墓」たるイワンが裁判の場で、何者かにつき動かされるごとく語り始めるとき、我々はこの逆説を作品の奥深く仕掛けた作者の意志を思うのである。

 ゾシマの教義的純粋性の問題や、そのリアリズム文学における「徳のミメーシス」(S-Linner)としての評価の問題を疑念の中に保留したまま、我々は現象を定義づける「真の言葉」を求め、真に語り合う関係を求めようとするドストエフスキイの反近代的な意志が、彼を窮極のところ何処へ導いていったかという問題の平面にゾシマを置いてみることができる。
 ゾシマの語る、万物が言葉をめざしている世界とは、『おかしな男の夢』(『作家の日記』1877年4月)の主人公が垣間みた、ものみな語り合う楽園と同じく、一種の言葉のユートピアである。だが、楽園を見た男がまず自らの「しどろもどろな」言葉を意識し、しかも「伝道」に出かけようとすることにみられるように、楽園のイメージの中には現代の「バベルの塔」の根本をえぐる、常に現実的な何ものかが露呈している。語ることで自己を捏造し、自己を見失ってゆく懐疑家に対し、語るとは畢竟このユートピアの実在を信じ、それに身を委ねることではなかったかとゾシマは語りかける。
 真に美しい人物――実在のキリスト教徒――真の言葉――これらは窮極的に、語りかけ語り継がれる言葉のみが真の実在である文学の平面で一つの像として出会う。そして、混乱した「バベルの塔」を現実と信じ、信仰を「赤い花」と呼びつつ、なおキリスト教文学を描こうとしたドストエフスキイにとって、書くとは、この言葉の世界の実在をたえず自らに向って説得してゆくことだったと言えよう。そしてゾシマを描くとは、まさに他の言葉では伝えられない何か、即ち言葉そのものの像を描くことではなかったか。

 わが長老ゾシマの教訓の多くが(というより、いわばその表現の方法が)彼自身のものに属する、すなわち彼の芸術的描写に所属しているということは、申すまでもありません。小生は彼の表現する思想を完全に頒かつものでありますが、もし小生が個人としてその思想を表現したならば、まったく別の形式、別の言葉であらわしたでしょう。しかし彼ゾシマは、小生が彼に付与したもの以外、ほかの言葉でもほかの感じでも、表現することはできなかったでしょう。⑳

¶ 註

論文初出:文集『ドストエフスキイ』第1号(東大文学部露文研究室内同誌編集部,1980年)89-113頁.

 エピグラフは「カラマーゾフ兄弟」創作ノート、ドストエフスキイ三十巻全集、第一五巻二〇五ページ、ゾシマの言葉より。

註番号
① ハインツ・リッセ「地ゆらぐとき」浅井真夫訳、河出書房新社、18―19ページ。
② 同、74ページ。
③  同、99ページ。
④ サルトル「エロストラート」窪田啓作訳、新潮文庫「水いらず」中、162―163ページ
⑤ 中井英夫「かつてアルカディヤに」、角川文庫「銃器店へ」中、94ページ。
⑥  ポール・グッドマン「ことば、そして文学」中條修訳、紀伊國屋書店、32ぺージ参照
⑦ キルケゴール、「あれかこれか」中「最も不幸なる者」 
⑧ M・バフチン「ドストエフスキイの創作方法の諸問題」(「ドストエフスキイ論」新谷敬三郎訳、冬樹社)89ページ。
⑨ J.B.Dunlop,:Staretz Amvrosy:Model for Dostoevsky’s Staretz Zossima,Nordland Belmont Mass.,1972,47-52ページ。
⑩ 同、52ページ。
⑪ S.Linner,Staretz Zossima in the Brothers Karamazov,Almqvist&Wiksell International Stockholm-Sweden,1975,53ページで、ゾシマとキリストの類似性が論じられているが、それは、忠実な弟子たちの小集団中にあること。気に入りの弟子と反逆者―裏切者の弟子をもつこと。親子、兄弟の仲裁役たること。人々にしたわれ、治療などをなすこと。名声は大きいが、また誤解もあること。その教えが、厳格な教義の立場から批判され、死後に弟子たちも不信におち入ること。婦人や罪人との交りを批判されること。外面的規則や習わしから自由であること。及びガリラヤのカナの章での復活のほのめかしなどの点においてである。
⑫ 例えばLinner は、ゾシマがムイシキンらと異って、予め権威づけられた徳の体現者であることを、彼のミメーシス論の出発点としている。同書10ページ、25ぺージ参照。
⑬ Linnerは、ゾシマを「甘たるい(sweet)と評するAnthony(Archbishop of London)の言をひきながら、ゾシマには実在のチーホンのような禁欲的な闘いがないことを論じている。同書96-111ページ参照。
⑭ В.Е.Ветловская,Риторика и поэтика(утверждение и опровержение мнений в《Братьях Карамазовых》Достоевского)В КН.〈Исследования по поэтике и стилистике,《Наука》Л.1972,166ページ以降。
⑮  「悪霊」(「チーホンのもとで」の章)中の僧チーホンの、スタヴローギンとの対話における、彼自らの心理的動揺の描写や、精神分析療法にも比されるその語り口の特徴は、ゾシマの平静さと好対照をなしている。Linnerは前掲書第3章中でその点を論じつつ、ゾシマを描くのに、ドストエフスキイが心理的手法を排したのは何故かという問いを発している。
⑯ ことばの既在から説き起すヨハネ福音書の冒頭18節の思想は、「救いの出来事は世が創られる前から始まっていたということを重視する」(S・シュルツ)ラジカリズムにおいて、(洗礼者の記事やイエスの系図、誕生物語などではじまる)他の福音書に比し、大きな特徴となっている。S・シュルツは、ヨハネに伝承されたロゴス概念の史的源泉を、後期ユダヤ教の知恵(ソフィア)伝承観、及びヘレニズム的グノーシス思想の中間者概念に求めている。
S・シュルツ「ヨハネによる福音書」翻訳と註解、松田伊作、NTD新約聖書註解4、23-61ページ参照。
⑰ ドストエフスキイ30巻全集第15巻、205ページ。
⑱  S・シュルツ、前掲書、379-380ページ
⑲  この部分の考察は、芦川進一氏の示唆によるところが多い。
⑳  ドストエフスキイ書簡、1879年8月7日(19日)NA・リュビーモフ宛。