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What is "DSJ"


The Dostoevsky Society of Japan (DSJ)

われらが同時代人ドストエフスキー

by Takashi KITAMI

設立の趣旨
亀山 郁夫

ようこそ、日本ドストエフスキー協会(DSJ)へ!

日本ドストエフスキー協会は、19世紀ロシアの作家フョードル・ドストエフスキーの文学はもとより、広く世界の文学や芸術を愛する人たちが自由に集い、語らいあう小さな広場です。

では、なぜ、今、ドストエフスキーなのでしょうか。
答えは、私たちが生きる現実の世界そのものに隠されています。

ご存じのように、グローバリゼーションという言葉が、ゆたかな未来性をはらんだ言葉としての響きを失ってから久しく時が経ちます。その言葉はもはや、世界経済における二極化や不平等の拡大、民族主義の勃興、テロリズムの不安などと二重映しにされて、負の側面のみが目立つようになりました。私たち自身、ネットとの「対話」にとめどなく時を費やしながら、つかのまのみじめな全能感に酔い、他人の生々しい現実に無関心となる一方、かぎりなく傷つきやすい「神々」と化しています。

そんな不幸な時代の訪れを、だれよりも早く察知し、予言していた作家がドストエフスキーなのです。今から150年以上前、まさに恐るべき二極化にあえぐ農奴制下ロシアで彼の小説は生まれました。そこで描き出された世界には、かぎりなく傷ついた人々の呻きや、他人の不幸におよそ無関心なエゴイストたちの笑いや、そのはざまで右往左往する心優しき人々のため息がこだましていました。しかし、ドストエフスキーは、彼らのそうした声を、月並みな善悪の観念で裁いたり、切り捨てたりすることはありませんでした。彼の魂の奥底に息づいていたのは、ともに生き、ともに苦しむという、いわば「共苦」の精神だったのです。

では、なぜ、ドストエフスキーの文学に、それほどにも切実に「共苦」の精神は宿ったのか、ということです。
その答えは、彼自身の人生の中に隠されています。
およそ59年の波乱に満ちた生涯が示すように、ドストエフスキー自身、かぎりなく不幸であり、なおかつかぎりなく幸せな人間でした。そして何より彼は、みずからが経験する苦しみのなかに、生命のきらめきを発見できる強い精神力の持ち主でもありました。まさにその精神力から、真実に溢れる生々しい言葉は生まれたのです。

ドストエフスキーのそうした逞しい精神力に学びたい。そこで学びとった何かを次の世代に伝えたい。この度、本協会を設立するにいたった契機とは、端的にそのようなものです。どうか、ドストエフスキーの残した数々の言葉を日々の生活に刻みこんでいってくださいますように。
最後に、私がどの作品にも増して愛する『カラマーゾフの兄弟』の中の一行を引用します。

「人を愛する者は、人の喜びをも愛する」

人はよく、「他人の不幸は蜜の味」と言います。悲しいことですが、他者の不幸を喜ぶ、これは、人間の避けがたい心理であり、真実です。しかし、このあたりまえの真実を乗り越えてこそ、人間として生きていく意味はあるのです。なぜなら、人間いや人類の英知とは、どこまで他者の喜びを愛することができるか、という点にかかっているのですから。

改めて、ようこそ、日本ドストエフスキー協会へ!