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Messages


名誉顧問デボラ・マルティンセンさんの冥福を祈ります

元国際ドストエフスキー協会長であり、また私たちのDSJの名誉顧問であるデボラ・マルティンセンさんが、去る11月28日に亡くなられました。ここに慎んで哀悼の意を表します。マルティンセンさんは、2018年3月に、名古屋外国語大学と東京大学で開かれた国際ドストエフスキーシンポジウムに基調講演者として講演をなされました。その講演録が、今年ドストエフスキー生誕200年を記念して刊行された2冊の書籍(『ドストエフスキー 表象とカタストロフィ』『現代思想』増刊号「ドストエフスキー生誕200年」)に刊行されたばかりでした。(亀山郁夫)

Deborah Martinsen, former president of the International Dostoevsky Society and our DSJ Honorary Advisor, passed away last November 28. Our sincere condolences are extended to her family and friends. Prof. Martinsen was a keynote speaker at the International Dostoevsky Symposium held at Nagoya University of Foreign Studies and the University of Tokyo in March 2018. The transcript of his lecture was just published in two books published this year to commemorate the bicentennial of Dostoevsky's birth ("Dostoevsky: Representations and Catastrophes" and "Dostoevsky's Bicentennial," an additional issue of ”Modern Thought”).

Deborah in Japan (at Ise Shrine)

Dear friends of Deborah--

As some of you already know, our dear friend Deborah Martinsen passed away at home on the afternoon of November 28. Over the last month, she received care from home hospice that kept her comfortable, and she was able to enjoy spending time with many of the people she loved. All of your kind wishes and messages were conveyed to her and gratefully received. Details about a memorial gathering to be held over Zoom will follow from this address in the near future. Her loss is deeply painful. With sympathy and sorrow at sharing such hard news,

Nancy Workman and Karin Beck
on behalf of Deborah's New York circle

追悼のメッセージ

Deborah at The University of Tokyo (13 March 2018)

デボラさんはいろんな場所にいました。オーストリアのガミング、バーデンバーデン、ニューヨーク、ナポリ、モスクワ、名古屋、東京・・・・・・。どんな場所でも必ず、デボラさんは弾けるような笑顔で、好奇心と思いやりとウイットに富んだ発言で、私たちを元気づけ、共同の仕事を最高に楽しいものにしてくれました。病気になられてからも、毎月の定期メールで、各地の同僚や友人に自身の病状や生活ぶりを報告し続け、私もその内容に一喜一憂しながら、励まされてきました。私の論文やエッセイには、あちこちにデボラさんの言葉や文章の記憶が残っています。深く感謝しています。デボラさんの暖かい、とても暖かい心を、忘れることはないと思います。望月哲男

東京大学での講演後のデボラ(2018年3月 東京)

 私には恩人がいる

 元国際ドストエフスキー学会会長デボラ・マルティンセンがその人だ。彼女の、温かい導きがなければ、私はおそらくは鬱屈を抱えつづけたまま、今なお自尊心のくすぶりに苦しめられていたのではないか。
 デボラ(と敢えてそう呼ぶ)との出会いは、2011年の夏、場所は、コロンビア大学内の彼女の執務室。その約一月前、私は、車で東日本大震災の現場を訪ねたばかりだった。1500キロに及んだ長旅の悲しい余韻も覚めやらぬまま、私は成田を飛びたった。
 大学の執務室で、デボラは、温かく、冷静に、レスペクトをもって私の話を聞いてくれた。そして、友人とのイタリアンレストランでの会食や、大学に近いカフェで開かれた研究会に誘ってくれた(超短期ながら、英会話スクールの手配までしてくれた)。デボラとの友情は、それから小止みなく続き、2015年の夏、千葉・幕張で行われた「国際学会」での発表の際、彼女は報告原稿のチェックまで引き受けてくれた。タイトルは、「『カラマーゾフの兄弟』における隠された引用」。いささか物思わせぶりなタイトルながら、内容には、自信があった。だが、デボラから返された原稿は至るところ赤線だらけで、ドストエフスキー学の壁の高さとつめの甘さを改めて思い知らされたのだった。
 最初の出会いからちょうど10年、デボラは去った。
 尽きせぬ悲しみのなかで、せめてもの慰めは、デボラが、ドストエフスキーが生誕200年を迎えた2021年11月の終わりまで生き尽くすことができたことだ。これで、大丈夫ーーすべての行事をほぼ見渡した彼女の胸のうちのひと言が聞こえてくる。亀山郁夫

 

Deborah at ISE Shrine

 

 デボラ・マルティンセンさんへの
哀悼の言葉


 ドストエフスキー研究の現状も知らない自分が、『現代思想』誌上で2回もマルティンセンさんの論文を翻訳することになろうとは、不思議なご縁としか言いようがありません。
 最初にマルティンセンさんの名前を知ったのは、『現代思想』誌の2010年4月臨時増刊号(亀山郁夫+望月哲男責任編集)に載せるために、彼女の著書 Surprised by Shame: Dostoevsky’s Liars and Narrative Exposureの一つの章(「恥という遺産 『カラマーゾフの兄弟』論」)を翻訳してほしいと依頼があって、望月さんから何枚ものコピーが送られてきた時でした。『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンの悪魔は「恥の具現化」だとか、「イワンの自意識としての悪魔は」「恥のパラドックスを端的に表す存在だ」といった彼女の言葉はとても刺激的でしたが、専門家でもない自分がどこまで理解できたかどうかは疑わしく思います。
 それから11年経った今年、奇しくも同じ『現代思想』の2021年12月臨時増刊号(亀山郁夫・越野剛・番場俊・望月哲男責任編集)に、マルティンセンさんの論文「ドストエフスキーの『罪と罰』における恥と罪の意識」の翻訳を載せることになりましたが、これは2018年3月13日に東大の本郷キャンパスで行われたドストエフスキー国際シンポジウムでマルティンセンさんが行った基調講演の拙い翻訳でした。
 シンポジウムが終わった後の会で、「あなたが私の講演を翻訳してくださったのね」とマルティンセンさんが近づいていらして、「ありがとう」とアメリカから持って来てくださった絵葉書などをおみやげにくださったことは忘れられません。国際ドストエフスキー学会の会長も務められたというマルティンセンさんは、想像していたような峻厳な方ではなく、穏やかで上品な学者さんでした。
 私より6歳も若いと後に知ったマルティンセンさんが、あれから3年半あまりしか経たないうちに(この間果敢に厳しい闘病生活を送られて)この世を去られたことは、とても残念でたまりません。この場をお借りしてマルティンセンさんのご冥福を心からお祈りいたします。マルティンセンさんのご業績が、これからのドストエフスキー研究者にとって必見のものとなりますように! 諫早 勇一 (Yuichi ISAHAYA)

Deborah near UT(The University of Tokyo)

デボラ・マルティンセン先生の
訃報に接して


先生に初めてお目にかかりましたのは2018年3月10日に開催されたシンポジウムでのことでした。『白痴』を題材にしてムイシキンと『失われた時を求めて』の「私」との接点を述べた私の拙い発表について、終了後、温かいお言葉をかけてくださいましたことをとてもうれしく思ったものでした。また、食事会の後、タクシーに同乗させていただき、フランス語で一言二言言葉を交わしていただいたことも懐かしく思い出されます。先生のご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます。林 良児 (Ryoji HAYASHI)


Sunset in Dresden

北米ドストエフスキー協会長キャロル・アポロニオ氏からメッセージ

Congratulations to the members of the newly formed Dostoevsky Society of Japan! We in the North American Dostoevsky Society welcome you warmly, wish you the very best, and look forward to fruitful communication, collaborative scholarship, and friendly discussion with you around the work of Dostoevsky for many years to come.
Sincerely,
Carol Apollonio,
President, The North American Dostoevsky Society.

名誉顧問リュドミラ・サラスキナ氏からのメッセージ

Глубокоуважаемый проф. Икуо Камеяма!
Глубокоуважаемые члены Японского общества Ф.М. Достоевского!
Сердечно поздравляю всех коллег с замечательным событием – открытием в Японии Общества Ф.М. Достоевского. Япония широко известна как самая «достоевская» страна в мире – в том смысле, что сто с лишним лет назад появились первые переводы романов и повестей Достоевского на японский язык и еще в 1914 году японские читатели могли прочесть на своем родном языке «Преступление и наказание», «Записки из Мертвого дома», «Идиот». Японские писатели, такие, например, как Акутагава Рюноске, вдохновлялись творчеством Достоевского, находили в его произведениях глубочайшие смыслы и чувствовали в них много родственного и близкого. Лев Толстой писал, что в героях Достоевского не только русские люди, но и иностранцы, узнают себя, свою душу. Через Достоевского русская и японская литература воистину породнилась.
В наше время эта традиция продолжилась. Новые переводы романов Достоевского, выполненные проф. Икуо Камеяма, их феноменальный успех – яркое тому доказательство. Японские читатели по-прежнему увлечены творчеством Достоевского – мне удалось увидеть это самой в ходе встреч в Токийском университете, организованных проф. Икуо Камеяма, по результатам которых в Японии вышла наша совместная книга «Удар романа “Бесы”».
Творческие контакты русских филологов и японских исследователей творчества Достоевского, несомненно, принесут пользу обеим нашим великим культурам. Желаю Японскому обществу Ф.М. Достоевского плодотворной работы и новых открытий на богатой и щедрой «достоевской» ниве.
Людмила Сараскина,
доктор филологических наук,
член правления Российского общества Достоевского,